2019年6月27日木曜日

遠山郷は遠かった

宮本常一氏の「山に生きる人びと」に登場する”遠山郷”に日帰りで行ってきた。
名古屋からほど近いと言ってもそこは南信州、車で片道3時間はかかる。多治見付近から66号線を走り、道の駅「おばちゃん市山岡」、岩村城等を経由、奥矢作から細い418号に入り、好きな平谷村「ひまわりの湯」をやりすごし、売木村、道の駅「信州新野千石平」を越え、やっと天龍川に出て、それからしばらく行くと道の駅「遠山郷」に着く。そこの観光協会でおすすめルートを教えてもらい、山奥の天空の里「下栗」を見に行く。

 「はんば亭」という南アルプス南部の山並が遠望できる山上の蕎麦屋さんで昼食をとり、そこから20分ほど歩いて山の中腹に設けられたビューポイントに行って写真を撮った。その後名水の「命水」など汲みながら下山、おすすめされた「旧木沢小学校」へ。

実際に木造校舎で学んだことのある自分なので、さほどインパクトはないだろうと思って入ってみたら、いい意味裏切られた。ランドセルを無造作に置いてあるなど、小学生が居た時の雰囲気をそのまま残してあるのだ。 上の写真は最後の卒業式の様子を再現?しているらしい。

あまり懐かしむと老けホルモンが出るらしいが、「ああこんなやった!」と物思いに耽る66歳でした。

夕方遠山郷道の駅に戻り、かぐらの湯でリラックス、また細い山道をくねくねと曲がりながら、名古屋の自宅に帰り着いたのは夜8時半頃だった。

高速道路を使って飯田あたりから下れば少しはましでしょうが、山道を経由しての遠山郷はホンマに遠かった。

2019年6月14日金曜日

老後2000万円問題に思う

老後2000万円問題が波紋を広げています。この機会に、木工で食べている人がいずれは体験する老後のことについて、感じていることを書いてみます。面白くない話ではありますが、大切なことと思います。

私は今年66歳。65歳になった昨年から年金を受け取っています。企業にたよらず木工で生計を立てていこうと考えていた頃、「年金なんてアテにしない」と強がっていました。それでも厚生年金は通算すると20年くらい払っていますし、それを無駄にしないため、空白はありましたが、60歳まで国民年金を掛けました。ですが、65歳になって年金額が決まった時は、予想していたものの、その額は考えていたよりかなり少なかったです。それに輪をかけるように、65歳になった途端、介護保険料を払う義務が生じます。年金は免除申請をすれば払わなくてもすみますが、介護保険料の支払いは拒否できないのです。私の場合で毎月一万円弱を支払うように催促がきました。半年ほど支払った後は、少ない年金からの天引きとなります。

自営の個人事業主ですので定年はありません。しかし、60代後半になると、体力・視力・精神力等の衰えを実感します。何歳まで今の仕事をやれるかわかりませんが、あと5年~10年というところが世間相場ではないでしょうか。そして、自分の年金額を考えると、「老後2000万円必要」という、なかったことにされた報告書の数値は最低限の数字として妥当であると感じます。

ここ数年「木工家になりたい」という相談を受けることは少なくなりました。私より若い方でバリバリ活動されている木工家を探せば、ネット上でに何人も見つけることができるでしょう。でも生きていくのに一番大事な収入についてはほぼ何も見えてきません。「この人どうして食べているんやろ?」と思うような活動的な木工家の場合、生活を支える何かがあると考えてまず間違いありません。世の中にはいろんな形で恵まれた人もいるわけです。同じように活動しようとしても、バックボーンが何もない場合には危険と言わざるを得ません。

それにしても、アベノミクスの成功を謳う現政権の「老後2000万円必要」問題に対するあまりに露骨な対応には情けなさしか感じません。私は平気でウソを言う人を信じることができません。でも、ウソのない政治家なんているのかな・・・?。