先日ある所である催し(内緒話みたいですんません)に参加した時のこと、説明される女性が大切に思われている植物体のことを”この子”と言われた。以前もどこかで女性の方が、大事にされている他の生命体や物質を”この子”を表現されたことがあり、その言葉にずっと違和感を持ち続けていた。今回その違和感が疑問符3つぐらいつくまでに増幅してしまった。
自分なりにその違和感の原因を分析してみた。
��、”この子”というが、言った方の子供ではない。
��、”この子”という言葉から、母親として愛し、制御しているという、思い込みが感じられた。
��、”この子”という言葉自体に、自己満足やカッコ良さを感じているように見えた。
細かい、それも抽象的な話で、何が言いたいのか、読んでいる方にはさっぱりわからないかもしれない。でもネットでちょっと検索してみたら、結構同じことで違和感を感じた方がいるようだ。例えば、靴屋さんの店員さんがお気に入りの靴を「この子はとても良いですよ」と言ったという例や、お堂の観音像を「この子」と呼ばれた例など。「愛情表現としていいじゃないですか」という反論もあったけれど、自分は”この子”発言にはアレルギーがある。
以上どうでもいい話でした。”この子”を使われている方、失礼お許しください。
かつて、あるシステムのプログラム開発を業者に依頼していた頃のこと、プログラムのロジックを「この子が、こうしてああしてなんとかかんとか」と説明する、プログラマーがいました。こちらも、一緒になってシステム構築に邁進しており、あたかも命を持っているかのように働いてくれる大切な部分でしたので、「この子」に共感していた自分を思い出しました。
返信削除コメントありがとうございます。人によって、また内容や背景によって、同じ言葉であっても受ける印象は大きく違うようですね。
返信削除「この子」には私もかなり違和感あります。愛玩している動植物であっても、本当の人間のわが子とは当然ちがうわけで、そのことの客観的な視線が希薄であることにむしろ一種の恐れを、私などは感じてしまいます。わが家にも猫が3匹いますが、一度も「この子は」と言ったことはありません。
返信削除今度書こうかと思っているのですが、違和感のを感じる表現、他にも多いです。たとえば高速道路のトイレに「きれいに使っていただいてありがとうございます」との張り紙。「きれいに使ってください」でいいのではないでしょうか。年かなあ。
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