2012年3月13日火曜日

いろいろ思うこと

3月11日の前後、一年前の大震災、巨大津波に関する報道がたいへん多かった。当然だろう。死者と行方不明者を合わせると19000人以上という数字だけをとっても想像を絶する被害であることがわかるし、そのうえメルトダウンという最大級の原発事故とそれによる放射能汚染が今も進行中だ。そんなことを調べていたら、3月10日が東京大空襲の日であったことがわかった。

学生の時、いわゆるノンポリであったが、学生運動をやっている友達も多く、講演会に誘われることも少なくなかった。中でも早乙女勝元氏の講演は記憶に残っている。岩波新書の「東京大空襲」の著者であり、ライフワークとしてその真実を後世に残していこうとされている方だ。はっきりした大きな声で、その惨状を語られた。若かった私はとても感銘を受けた。当時の警視庁の発表によると
死亡:8万3793人
負傷者:4万918人
被災者:100万8005人
被災家屋:26万8358戸
であるという。これだけの被害が、3月10の午前0時過ぎから2時間少々の間に、アメリカ軍の爆撃によってもたらされたという事実に、今更ながら驚く。小さい頃、母親などから、神戸空襲の悲惨な体験を何度か聞いた。油脂焼夷弾の怖さや防空壕のこと、黒コゲの死体のこと・・・。空襲の目的は、兵器製造工場の破壊だったということだが、木造の日本家屋が燃えやすいことを知ったうえでの非戦闘員犠牲を前提にした爆撃であったことは明白で、見方を変えればこれは大虐殺だ。戦争体験を直接聞くことができる機会はこれからほとんどなくなると思うので、3,11の前日、東京大空襲があったことを思い出すことは意味があるかもしれない。

これだけの被災者をだしながら、8月に長崎と広島に原爆が落とされるまで戦争を続けた当時の日本軍と政府、多くの国民はそれをどうして止められなかったかと思ってしまう。しかし、今も同じような状況があるのではないか。原発事故でこれほど手痛い目にあいながら、一時は脱原発をめざすとした政治家もいたが、原発ありきの方向に戻ろうとしている。水素爆発とされながら、三号機爆発のキノコ雲にも似た黒い煙や、当時観測されたという放射能の異常数値、これらはしだいに隠蔽されている。選挙では、消費税の論議より、これから原発をどうしていくのか、それを見て判断したい。

4 件のコメント:

  1. 大震災から1年のニュース一色の中、私の父もやはり
    東京大空襲の死者数の話をしていました。
    私が勤める東京江東区の会社の隣の小学校では
    この時期、毎年校庭で慰霊祭が行われています。
    先日、震災を取材して来たCNN(だったかな)の
    記者が、災害に耐える日本国民を称える反面、政治の未熟さを指摘していました。
    国民に信頼される政治はどうすれば取り戻せるのでしょう?

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  2. 実際に東京大空襲を体験された方のお話はまた違うものがあるでしょう。かなり前の話ですが、偶然「東京慰霊堂」の前を通り、中に入って驚いたことがありました。機会があれば見ておきたい場所だと思います。

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  3. 原発のことを考えると気が滅入ります。このままでは再稼働となり、その次は遅かれ早かれフクシマの再来でしょう。さっきも関東で地震がありましたし。
     東京大空襲も、けっして当時の米国を擁護するわけではありませんが、日中戦争の初期に日本軍が中国の重慶を爆撃機で無差別空爆したことをモデルにしたという話もあります。歴史に何も学ばないというか、悪いことだけは抜け目なく学ぶというか。

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  4. 重慶爆撃をモデルにしたという説、知りませんでした。空爆があった当時も、行った側はそれを正当化するような発表をしていたことでしょう。情報化社会の現在ですから、原発に関しては、どうか真実を公開してほしいです。

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