2015年12月10日木曜日

野坂昭如氏逝く

何度も”火垂るの墓”を見た。中学校の講師をしていた時に、夏休み前だったか、学校行事として上映会もあった。なんせ舞台が私が生まれた神戸だから、三ノ宮駅構内も、岡本も、御影公会堂も、すべて実際に見ている。よけいに入れ込んでしまう。火垂るの墓と同様”禁じられた遊び”もストーリーを思い出すだけで目頭が熱くなる。小説は短くて淡々と物語が進むが、映画は作者があえて避けていたであろう兄の心が伝わるシーンが多くて涙を誘う。

昭和30年頃、元町5丁目の家の近くの公園にはカマボコ型の米軍兵舎があった。三ノ宮駅の東側にはまだ崩れたレンガ作りの建物があったと思う。国鉄(JR)の駅では足のない兵隊さんが白い服を着て、アルミの弁当箱か何かを前に置いて物乞いをしていた。幼稚園の同じクラスの女の子の家に遊びに行ったら、暗い部屋でブドウやリンゴなどの果物の飾りが天井から下がっていて、カンンターのある、今思えば、外人相手のちょっと怪しい酒場だった。そしてその女の子もハーフ。3歳くらいだったろうか、セーラー服のアメリカ人水兵さんに”通せんぼ”をされ、困っていたら、ハーシーのチョコレートをくれた。

一度、野坂昭如さんに会ったことがある。大学一年生か二年生の時、大学構内を歩いていたら、「学生会館はこっちでよかったかな?」と薄く色づいた眼鏡をかけたおっさんから道を尋ねられた。その人が野坂昭如さんだった。生協主催か何かで野坂氏の講演会があり、一人で駅から歩いて来られていたのだった。私もそこに向かうところだったので、300mくらいいっしょに歩いた。その時の講演内容は、まず最初に主催者側の不手際、非常識を怒っておられた。というか、一丁前の大人顔をしていながら、講師に対するまともな対応さえできないことなど指摘されていたように記憶している。

ここ数年野坂昭如さんのことを忘れていた。これを機に戦争の悲惨さを体験した少年がまた一人いなくなったことを重く受け止めたい。現政権の強引な安保法案可決、そして今後の選挙でのより独裁化が予想される状況は本当にまずいと思う。おそらく、近いうちに”火垂るの墓”のテレビ放映があるだろう。涙もろいので見たくないけど、神戸の話やし、実際にお会いして一言二言話したことのある人やし、じっくり見ないといけないな。

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